インタビューvol.1 歌舞伎役者 坂東彦三郎丈 

あきらめないことが、

人生の楽しいこと

7歳の頃から歌舞伎の舞台に立ってきた八代目坂東彦三郎丈。5月には彦三郎改め「楽善」を襲名します。楽しく善きことを司るためには、多くの困難を乗り越えなければこの境地には達し得ません。華やかな役者人生を送られてきたと想像しがちですが、23歳の頃に結核性脳髄膜炎という大病をされました。そんな大病にどのように向き合って舞台に復帰されてきたか、お話をうかがいました。

 

昭和41年の夏、23歳の時に公演先の東北から帰る途中に倒れて、上野に着いてすぐ入院しました。気が付いたらベッドの上。結核性脳髄膜炎でした。お袋さんから「足も悪くなっちゃったんだから何か別の商売を考えましょうか」と言われましてね。その時、”自分は役者に戻りたい”と強く思ったんです。それからはリハビリをがんばりましたよ。先生も驚いて「よく舞台に戻ってこられた」と。

復帰した初めのうちはびっこを引いていた。でもそのびっこも舞台ではびっこにみえないように工夫したんです。ここはああすればいいんだなと自分で考えてやってみる。役者っていうのは、なかなか他の方が教えてくれない場合もありますしね。うちの親父はなかなか教えてくれなくて、稽古していても「違う違う違う」しか言わない。教わってもその通りに動けなかったときは「このやろう、もう一回やってやろう」って。役柄のことを自分で考えて頭に入れるしかないんです。お客さまは役者の心意気に釣られて舞台にのめり込んできます。そして前のめりになったら成功したなと(笑)。今の時代には教えてあげないとわからない。息子でも孫でも弟子でも教えてくださいってきたときは全部教えます。あとは自分次第です。

あきらめたらいけない

病気や障害など、人によって絶望という度合いが違うかもしれませんが、具合が悪くなって死ぬような病気しますよね。死ぬのはしょうがないんですけど、それよりも生きているんだからあきらめたらいけない。大病して真の姿が見られたと思うんですね、その時に自分はやっぱり役者がやりたいんだという気持ちが沸きました。

人間は、自分ひとりで生きているわけではない

大変なときは、一人で考えるのはいいことじゃないですね。リハビリの時は「びっこ引いていなかったらマルをくれよ」とか言いながら、たくさんの看護師さんたちと話をしました。一人で考えないで、冗談でもいいから他の方たちと話をする。話すと心が晴れる。それでも、あーダメなんだなと思っちゃう人もいるかもしれませんけど、いろんな人のそれぞれ違う意見を聞くと、他の商売もできないかしら、座っていてもできるものがあるんじゃないの?とか、これだけがすべてじゃないしと、可能性を明るく前向きに考えられるようになるんです。困難なときこそ、いろんな方とたくさんお話をするのがだいじだと思います。そして、自分で道を見つけ出していくんです。私も大病を克服してきたという経験をしているから、病気や障がいがあっても、多くの方があきらめないで前向きな気持ちになってくれたら有難いですね。

努力していれば誰かが見ていてくれます。最後まであきらめないということが、人生のいちばん楽しいことではないでしょうか。

編集後記

5月に坂東楽善を襲名する彦三郎丈。インタビューのお言葉の「あきらめないことが人生のいちばん楽しいこと」というとおり、あきらめなかったからこそ楽しく善い人生につながっているのであり、襲名どおりの人生、お人柄を感じさせられました。昭和の名優ここにあり。