板橋区立高島第2小学校で、障がい理解の講演とボッチャ競技をしました

2012年ロンドンパラリンピック、ボッチャ競技日本代表の秋元妙美さん

9月26日(水)、板橋区立高島第2小学校にて、日本ユニバーサルボッチャ連盟の渡辺美佐子さんと秋元妙美さんが、オリパラ教育の一環として、5,6年生対象に障がい者理解の講演をしました。その後、パラリンピック競技のボッチャを学年対抗形式で行いました。最初に、渡辺さんが、ロンドンパラリンピックの元選手で、車イスの秋元さんについて紹介。秋元さんは、出生時にへその緒が首に巻きついていたことが原因で脳性マヒとなり、身体が不自由になりました。渡辺さんが児童たちに、自分たちと秋元さんの違いを聞いたところ、子どもらしい率直な、見た目についての回答がでました。秋元さんは大学を卒業してから一人暮らしをしており、料理や家事でできないところだけ、ヘルパーさんに助けてもらっています。身体は不自由だけれども助けを借りればみんなと同じことができること、みんなと変わらないことを伝えました。続いて秋元さんが自己紹介。「勇気を持って、自分らしく」というテーマで、自分自身に負けない強い心を持つこと、やさしい心を持つこと、自己肯定の大切さについてお話されました。講演の後はボッチャの学年対抗戦。児童たち自身で審判をし、試合は盛り上がりました。

—講演録—

(秋元)私はいま、私よりもっと障害の重い人のサポートをしています。その人たちが自分のやりたいことをできるようにサポートしています。私は小学校まではみんなと同じ区立の学校に通っていました。その頃は今のようにずっと車イスではなく、遠足や移動教室のときだけ車イスでした。私は体育でも何でも自分でできることはやっていましたが、できないところはみんなに支えられてきました。私は手が不自由だし歩くのが遅かった。でも、お友だちがいろいろ助けてくれました。階段の昇降時は手を取ってくれたり、給食のときは食事を手伝ってくれたりと。移動教室では、宿舎に戻るときに突然大雨が降ってきました。みんなが走って帰るなか、一人のお友だちが私をおぶって、もう一人が私の荷物を持ってくれました。とてもうれしかったのを覚えています。みんなも、困っている人がいたら手を差し伸べてあげてください。

3人一組がチーム。どこを狙って投げるか、戦略を練っています。

次にパラリンピックについてですが、観客数でみると世界第3位なのです。オリンピック、ワールドカップ、そしてパラリンピック。これってすごいでしょう?世界中がパラリンピックを観て応援してくれています。パラリンピックの中でも、いちばん障害の重い選手が出場できるのが、ボッチャです。なぜ私がパラリンピックを目指したかというと、私はスポーツが大好きで今までいろんなスポーツをやってきたけど、唯一、人と競うことができて、世界の舞台で戦えるものだとわかったからです。それから、ボッチャをやると決めた。絶対にパラリンピックに出るのだと、人に負けないくらい強い気持ちを持って臨みました。だから、どんなに難しいこと、苦しいことがあっても乗り越えられたのだと思います。

実は、最初は手でボールを投げていましたが、だんだん難しくなって、足で蹴る方法に変えました。足でコントロールするのってすごく難しいのです。でも、うまくできたときの喜びは大きかった。みんなも教科で得意不得意があると思うけど、得意な科目より苦手な科目でいい点をとった方がうれしいよね。何かに挑戦しているときはつらいけど、そのときの努力は絶対無駄にならないはずです。自分自身に負けないで、何があってもあきらめない、強い心を持ってください。たとえ廻り道になったとしても、それが自分の経験になって力になっていきます。できない、つらい、大変なことがあったら、助けを借りてください。私もそうでした。障害があってもなくても、いろんな人から智恵をもらったりすると、いろんなことが見えてくる。一人で悩まないで、助けを借りるのも大切なことだと思います。私はそんな強い選手ではありませんでした。自分は技術では及ばなかったけど、チームを盛り上げるなど、自分のできることを精一杯やりました。できることを自分でどんどん探して実行しました。みんなも、苦手があってもマイナスじゃない。あの時があったから、今があるのだと思えるときがくる。私は、いろんな方法を試して、投球を足に変えたからパラリンピックに出られました。

たくさんの人に助けられて、今の私がいる。ありがとうとう感謝の気持ちでいっぱいです。

5年生対6年生の試合。秋元さんがアドバイスをします。
児童自身が審判をします。